OTO's News
OTO's Mail
Sports Files
OTO's Photo
OTO's Answer

Profile
Works
Books
出演依頼はこちら

ココログ
乙武洋匡公式サイトは@niftyのウェブログ(blog)サービス「ココログ」で運営しています。
ココログって何?
ココログ使い方ガイド



2005.06.03

二子山親方に捧ぐ

 二子山親方の通夜に参列してきた。多くの報道陣が詰めかけ、故人を偲ぶ雰囲気をぶち壊していたのは残念だが、それ以上に悲しいのは、その日の“主役”が入れ替わってしまったことではないか。マスコミは、連日「若貴問題」にご執心だ。

 小兵ながら大型力士相手に懸命の取り組みを見せた「貴ノ花」としての現役時代を、僕は知らない。物心ついたとき、彼はすでに藤島親方(当時)であり、“若貴のパパ”だった。だからかもしれない。「厳しい人だった」――多くの人が口にする故人への回顧も、僕にはピンと来ないのだ。

 はじめて親方に会ったのは、02年冬。翌年初場所に向けて(結果的にはこの場所かぎりで引退)復活を期す横綱・貴乃花を取材するため、中野新橋にある二子山部屋に足しげく通った。「寒くはないか」「じかに板の間に座るのは痛くないか」など、細やかな心づかいを忘れない、やさしい方だった。

 だが、そのまなざしは、どこか悲しげだった。さすがに稽古中には厳しい顔つきとなるが、横綱とともに臨んだ記者会見や、僕と座布団を並べて会話していたときの、ふとした表情。心の陰翳がはっきりと読み取れるその表情に、僕は胸を締めつけられるような思いでいた。

 その年の暮れ、都内ホテルの宴会場で部屋の忘年会が開かれた。親方はいつになくリラックスした様子で、弟子に向かって冗談など飛ばしている。だが、その親方が一瞬だけ真顔になったことがある。最も気を遣わなくてよいはずの息子・貴乃花と言葉を交わす瞬間だった。
 
 そこに、思いをめぐらせた。

 息子2人を力士に育てるため、親子の縁を切って部屋に入門させた父。息子たちはその期待に十二分に応え、ともに横綱となった。父にとっては最良のハッピーエンドに思われたが、人生というドラマにはまだ続きがあった。

 30年以上連れ添ってきた憲子夫人と離婚。2人の息子もすでに所帯を持ち、父は50歳を過ぎてひとりになった。僕が目にした実の息子との緊迫感は、「親子として接したい。だが、それは10数年前にみずから望んで捨てた道だ」との葛藤の末に生まれたものではなかったか。

 その叶うはずのない思いを現実のものとしてくれたのが、長男・勝氏(元横綱・若乃花)の存在だったのかもしれない。相撲界を飛び出した息子。それは父の望んだ道ではなかったが、結果として「息子」が自分のもとに帰ってきたと感じたのではないか。

 闘病中の親方は、2~3日、長男の姿が見えないだけで、「勝、どこにいる。早く病室に来い」と口にしたという。勝氏にとって、厳しい師匠だった父が弱気な姿を見せることは、驚きだったかもしれない。だが、最後に取り戻した“親子の情”は、病床の親方にとってどれだけ大きな力となっただろうか。

 もちろん、次男・光司が果たした役割も忘れがたい。父が果たせなかった横綱という夢をつかみ、部屋を継承して後進の育成にはげむ。まさしく父が望んだ息子像を体現してみせた。土俵の上での孝行息子は、(兄も横綱まで昇進したとはいえ)やはり次男だったのだ。

 最後は父に寄り添った長男と、父に託された夢を最後まで貫こうと命を張る次男。進んだ道は、それぞれ違う。しかし、だからこそ息子たちは親父を幸せにすることができたのではないだろうか。二子山親方――いや花田満という男は、最高の息子に恵まれたのだと僕は思う。

 彼ら兄弟には、最後の親孝行をしてほしい。肩を組んで、「もう大丈夫」と笑ってほしい。親方には、天国に行ってまであの悲しい表情をさせたくはないから。

2005.06.03 | 固定リンク

 
アット・ニフティトップ
入会案内
Sports@nifty お問い合わせ窓口 / 利用規約 / 個人情報保護ポリシー